水俣病の認定問題は、今なお混乱が続く。
環境省が、柔軟な姿勢を見せたことで、事態が少しでも改善することを期待したい。
環境省が、水俣病の認定業務を担っている熊本、鹿児島、新潟各県と新潟市に認定の指針を通知した。感覚障害のみの症状でも、認定することがあり得ると周知するのが目的だ。
水俣病の認定は、1977年に環境庁(当時)が示した基準に基づき実施されてきた。認定基準は、感覚障害以外に症状がない場合には、「総合的な検討」を行って、判断するよう求めている。
元々、感覚障害だけでも、水俣病と判断される余地があった。
しかし、実際の認定業務では、感覚障害に加え、運動失調や視野狭窄(きょうさく)など、複数の症状の組み合わせが確認されなければ、ほとんど水俣病と認定されなかった。
今回の指針は、認定基準の趣旨に立ち返って、柔軟な判断を求めたものと言えよう。早期に認定業務の是正に動かなかった環境省の責任は重い。
環境省の指針の背景には、司法がより幅広く水俣病患者と認める判断を示している点がある。
水俣病と認められなかった被害者について、最高裁は昨年4月、「多角的、総合的見地からの検討が求められる」との見解を示し、水俣病患者だと認めた。
行政と司法で認定のハードルの高さが異なる二重基準の状況が続いていることが、混乱の大きな要因である。
現在、熊本県などの認定業務は停止している。被害者の高齢化が進む中、約750人が認定審査を待っている事態は問題だ。
今後の認定業務では、症状の組み合わせという画一的判断ではなく、認定申請者の居住歴や家庭内での患者の有無など、幅広い視点から水俣病かどうかを見極める姿勢が求められる。
水俣病を巡っては、1995年、患者と認定されなかった被害者の政治決着が図られた。2009年にも、救済の枠外だった人を対象にした被害者救済法が成立した。これらの一時金の額は、認定患者に比べ、大幅に少ない。
環境省は過去の認定審査の結果については、見直さない方針だ。これまでの救済策を白紙に戻すことによる一層の混乱を考えれば、やむを得ない措置だが、不公平感を抱く被害者は多いだろう。
被害者の健康管理など、環境省は、今後も可能な限りの支援策を実施していくことが重要だ。
宝子たち 胎児性水俣病に学んだ50年